天声人語で国語力をアップ

天声人語を読み直すのに、新聞の切り抜きや書き写しノートを持ち歩くのが面倒なので、ブログにアップしています。

狭き門〜女子プロゴルファーの旅生活

天声人語 2019/8/18より

 

スポーツは旅だと、しみじみ思うことがある。2週間前にゴルフの全英女子オープンで優勝した渋野日向子選手は、息つく間もなく先週は北海道、この週は長野・軽井沢でグリーンと格闘している▼国内の女子ツアーは季節を追って列島を縦断し、この時期は避暑地を巡る。選手は一年の6、7割をホテルで暮らすことになる。多くは宿泊や交通の手配から洗濯まで、一人でこなしながら移動する▼プロになれるのは毎年20人ほどで合格率数%の狭き門だ。テストをくぐりぬけても、年間を通して出場が保障されるシード選手は全体で約50人。気が遠くなりそうなピラミッドを登った先に旅生活がある▼興味深いのは近年の男女の逆転現象だ。 女子の大会は人気が高く、今季は39まで増えた。男子はピークの半分近い25にとどまる。女子はアマ選手の出場制限をなくすなど、協会をあげて若手の発掘と育成に力を注ぐ。一方でツアーの仕組みや税金、礼儀作法まで研修をして社会人教育に取り組む。地に足がついた積み重ねが背景にある▼日本の女子ゴルフの歴史は半世紀に及ぶ。プロ1期生の樋口久子さんが77年に全米女子プロで勝ち、岡本綾子さんが米賞金女王で続いたが、層が薄かった。樋口さんが会長に就いて改革が進み、宮里藍さんらが育った。その活躍に刺激されたのが二十歳の渋野選手の世代である▼歩んだ道のりには山も谷もあり、 今後も曲折は待っているに違いない。それでも、旅を共にする同志は確実に増えている。

 

LPGA公式女子プロゴルフ選手名鑑

文学に触れるということ

天声人語 2019/8/17より

 

文芸誌の「すばる」と「文学界」が、立て続けに国語教育の特集をしている。高校の国語でこれから、文学が選択科目になるためだ。若い人が文学に触れる機会が失われていくのでは、との懸念が伝わってくる▼現代国語といえば小説や詩歌、評論だと思っていたが大きな変化が起きるかもしれない。新指導要領に沿った試験問題例には、実用文として行政のガイドラインや駐車場の契約書が出てくる。素人目にも「これが国語か」と思える内容だ▼「実用的な文章が読める力は必要だろうけど、そんなものを国語の教材としてえんえんと教えるとは」。文学界9月号に歌人で元国語教師の俵万智さんが書いている。「言葉や表現の豊かさに、あえて触れさせない意地悪を、なぜするのだろか」▼俵さんによれば、短歌は31字だが百字分でも千字分でも伝えられる。一方で百字で百字分を伝えるのが契約書。それを国語で教えるのは「言葉を、現実を留めるピンとしてしか見ていない」▼新学期になり、手にしたばかりの国語の教科書をわくわくして読み進める。そんな経験をお持ちの方もおられるか。ガイドラインや契約書ではそうはいかない。俵さんらの懸念が的中しないでほしいと、大昔の高校生も思う▼教科書で出会わなかったら一生出会えない。そんな文学があると、すばる7月号で作家の小川洋子さんが語っていた。そして文学は「広い世界へ行くためのドア」になるのだと。自分の狭い世界、狭い価値観から解放されて。

 

すばる

文学界

日韓の風通し

天声人語 2019/8/16より

 

この夏、小さな扇風機を手にする人をまちで見かけるように なった。最近のヒット商品だそ うで、ミニ扇風機とも携帯扇風機とも呼ばれる。同じものが韓国では一足早く流行していたという。厳しくなるばかりの暑さはお互いさまのようだ▼韓国のフェミニズム小説「82年生まれ、キム・ジヨン」も、昨年末から今年にかけて、日本で売れて話題になった。女性を脇に追いやる社会のあ り方を静かに暴いているのだが、日本と似ているのだ。男の身には読んでいて後ろめたい気もしてくる▼男子学生が牛耳る大学のサークルや、就職での差別、職場での給与格差などが出てくる。子どもを持とうという夫の言葉に主人公はこう 言い返す。 私は健康も同僚も未来も失うかもしれないのに「あなたは何を失うの ?」▼日韓が抱える社会問題には重なるところがある。そう感じることは少なくない。先日の紙面では「隠遁型ひとりぼっち」と呼ばれる韓国の引きこもりの話 が出ていた。ソウル郊外に、彼らを支授する日本の団体があるという▼少子化も日本を上回る速度で進んでおり、地方の過疎化も深刻だ。学び合い、知恵を出し 合える隣国のはずなのに、現状は国と国とがにらみあい、人と人との間にも亀裂が入る。お互いの国への旅行にも二の足を踏むとすれば、あまりに不自然である ▼日韓の外相による会談が今月中に行われる見通しだ。風通しのひどく悪くなった関係に少しでも風が吹かないものか。ミニ扇風機でも手向けたくなる。

 

82年生まれ、キム・ジヨン

敵対心は戦争の燃料~支那事変(日中戦争)

天声人語 2019/8/15より

1937年の夏、盧溝橋で日中が軍事衝突したとのニュースは、瞬く間に日本国内に広がった。日常風景の変化を切り取った短歌がある。〈事変おこりて客足たえし支那人床屋ニユウスの時をラヂオかけ居り〉日比野道男▼中国人の床屋はまちの人々になじんでいたことだろう。それなのに突然、誰も寄りつかなくなる。当時は事変と言われた日中戦争の始まった瞬間である。中国人と付き合うのをはばかるような空気が生まれたか▼「暴支膚懲」。そう言われてぴんと来る人は今、どれだけいるだろう。横暴な中国を懲らしめるとの意味で、政府が掲げた言葉だ。大義名分のはっきりしない戦争だからこそ、強いスローガンが必要だったのだろう。朝日新聞も追随し、煽り立てた▼当時の子どもたちの作文がある。「ぼくは、わるいしなのくにに生まれないでよかったと思いました。ぼくはしなのしょうかいせきや、そうびれいがにくらしくてたまりません」。蔣介石は当時の中国の指導者、宋美齢はその妻である▼首都南京が陥落したとラジオで聞いた時のことを書いた子もいる。「ぼくはいいきびといいました。おかあさんも、きびがいいなあといいました」(長谷川央著「教室の子供たち」)▼あの国が悪い。だから懲らしめる。政府やメディアが敵対心をあおり、その敵対心が戦争の燃料になる。日中戦争、そして太平洋戦争で経験したことである。そんな振るまいは完全に過去のものになったと、胸を張って言えるだろうか。

 

長谷川央著「教室の子供たち」(昭和17年出版:明石書房)は、書店では見つからなかった(国会図書館の蔵書にある)。

土用波による遭難

天声人語 2019/8/14より

「土用」が頭につく言葉は少なくない。食べ物だとまずウナギが思い浮かぶが、「土用卵」「土用蜆」などもある。暑さにまいる夏の時期、栄養のあるものを口にして、体力をつけようという発想である▼天候についての言葉もある。「土用凪」は風のない猛暑のことで、涼しい風が吹いてくると、その風は「土用あい」と呼ばれる。しかし「土用波」となると警戒が必要だ。夏の土用の時期に起きやすい大きな波のことを、そう言い習わしてきた▼この土用波、遠洋にある台風のしわざであることが分かっている。土用の時期はすでに過ぎたものの、台風10号の北上により危険な大波が各地で起きたようだ。太平洋側の海岸では一昨日、死者や行方不明者が相次いだ▼千葉県館山市では5人の男性が沖合に流された。3人は自力で浜に戻ったものの、18歳と19歳の2人が行不明になったという。海岸に打ち寄せた波が沖に戻ろうとするときに、「離岸流」という強い流れが発生したとみられる▼日本ライフセービング協会のホームページを見ると、離岸流は1秒間に2メートルもの速さで進むことがある。五輪メダリスト級の水泳選手でも逆らって泳ぐのが難しいというから、波の動きには十分に注意したい▼やきもきするのは、台風10号の遅さである。本州が強風域にすっぽり入るほどの超大型の台風が、自転車ほどのスピードで進んでいる。徳島での阿波踊りなど各地のイベントへの影響も心配だ。気持ちをゆるめられない季節である。

春夏秋冬 土用で暮らす

空蝉(うつせみ)から感じること

天声人語 2019/8/12より

何にでも値がつくのが市場経済であるならば、とくに驚くことではないかもしれない。フリーマーケットアプリのメルカリで、セミの抜け殻が出品されていた。90体で1100円などの品は、自由研究にでも使われるのだろうか▼抜け殻と言うと物質そのものだが、「空蝉」と言い直すと、命の名残があるような気がする。近所を歩いていて、コンクリートの擁壁にしがみつく空蝉をいくつも見た。旅立ちの場所は樹木でなくとも構わない、そんなたくましさがある▼空蝉に生命の力を見て取り、詠まれた句は少なくない。〈空蝉のいづれも力抜かずゐる〉阿部みどり女。役割がすんだはずの抜け殻なのに、筋力さらには視力すら感じてしまう。〈空蝉の脚の確かさ眼の確かさ〉後藤比奈夫▼長梅雨のせいだろうか、セミが鳴き始めるのは昨年よりだいぶ遅かった。セミたちにとっては待ちに待ったお日さまであり、暑さであろう。殻を脱いだばかりのセミが多いかと思うと、鳴き声にも元気があるような▼お盆の帰省の時分である。自分が脱いできた殻を振り返る、そんな時間を過ごすのもいいかもしれない。親子で友人で自然と昔の話になる。実家に残した本を手に取れば、あの頃考えていたこと、悩んでいたこともよみがえるか▼〈空蝉のなほ苦しみを負ふかたち〉鷹羽狩行。悩みや苦しみから抜け出して、一歩前に進む。脱皮の言葉はいま、比喩として使われる方が多いだろう。人がセミと違うのは、何度でも殻を破れることだ。

うつせみ 樋口一葉

源氏物語 かなわかちがき 「うつせみ」「ゆふがほ」「わかむらさき」

キーマンに逃げ切られた森友問題

天声人語 2019/8/11より

苦しい言い訳でも、文豪の手にかかると美しさを帯びるから不思議である。原稿の催促を受け流した泉鏡花の手紙。「涼風たたば十四五回もさきを進めて其のうちに一日も早く御おおせのをと存じいろいろ都合あい試み候えども・・・」▼涼風が吹くようなら他の原稿を14~15回分も書いてしまい、ご依頼の件に着手しようと考えていたのですが・・・。要するに「暑くて仕事がはかどらなかった」という開き直りだが、美文に幻惑されてしまう(中川越著「すごい言い訳!」)▼美しくもない言い訳を何度も聞かされた気がするのが、森友問題である。「刑事訴追の恐れがある」「捜査の対象になっている」。財務省局長だった佐川宣寿氏が国会での証言を拒んだのは昨年のことだ▼捜査が一昨日、不起訴のまま終結した。財務省が改ざんを認めているのに、有印公文書変造の罪にあたらないとの検察の判断は、法律の素人には理解に苦しむ。残念な結論の中に希望を探すなら、佐川氏が言い訳できなくなったことか▼首相夫人らの名前を消すに至った経緯を、その口から語ってほしい。あるいは言い訳に困って、こうおっしゃるか。「下手なことをしゃべると、財務省から再就職先を世話してもらえなくなるので・・・」▼徳富蘆花は不出来な原稿の釈明に、考えを絞り出そうとしても心の中にもう何もないと書いた。「如何程しぼりても空肚は矢張空肚にて致方御さなく・・・」。森友のキーマンの腹からは、まだ何も絞り出せてはいない。

すごい言い訳 二股疑惑をかけられた龍之介、税を誤魔化そうとした漱石